境内見どころ
3尊の石仏
◎子安地蔵尊
地蔵は大地の徳を擬人化したもので、現世または地獄における救済や利益に力がある菩薩として信じられます。善寳寺境内入口すぐ右脇に安置されており、子授け、安産、子育てのお地蔵様です。
◎満州親子地蔵尊
第二次世界大戦中に旧満州(現中国東北部)で犠牲となられた母子の御冥福と、民族協和・永遠の平和を祈るお地蔵様です。
◎弥勒菩薩像
宝暦年中の大飢饉に対し病魔退散・五穀豊熟を願い建立されました。大阪で造られ、船から陸揚げの際に首を海中に落としてしまい、胴体のみ到着後、首のみ造作されたと言い伝えられています。
6棟の登録有形文化財
〈ここが見どころ〉
▶自然豊かな6万5千坪の境内
▶6つの国指定文化財を含む大小25棟の堂塔伽藍 (平成27年11月17日 文化庁より登録)
▶文化財に施された繊細な彫刻
▶今も人面魚の泳ぐ龍神信仰発祥の聖地「貝喰池」
善寳寺境内の文化財は、その建物の大きさだけに目が行ってしまいますが、繊細に彫られた獅子や鳳凰など、当時善寳寺で腕を振るった大工の棟梁がおりました。魂を込めて彫り込んだ質の高い彫刻にもご注目ください。
登録有形文化財【1】龍華庵(りゅうげあん)
棟梁:剣持嘉右衛門籐吉
二棟梁:奥山富五郎
三棟梁:齋藤善六・本間末吉
善寳寺の前身である龍華寺の本堂であり、善寳寺の歴史を紐解くに重要な建物であります。昔はこの場所から北北東2キロほど隔てた場所にあり、現在は西郷小学校の敷地となっております。その地名を「龍花崎」(りゅうげざき)と呼んでいたそうです。現在の建物内外の彫刻と建造は明治13年(1880年)に善寳寺お抱えの棟梁「剣持藤吉」の作であります。明治12年以前の龍華庵は、五重塔から案内所の間の敷地に建てられていたそうです。現在は五百羅漢像修復のための、作業所として利用されており修復の様子を見ることができます。
登録有形文化財【2】総門(そうもん)
棟梁:剣持嘉右衛門籐吉
安政3年(1856年)に再建された十二支を主体とする細やかな彫刻の総門。総ケヤキ造り。この優れた彫刻は棟梁の剣持藤吉30歳頃の気迫の込められた作。特に獅子の造形と迫力は一見の価値あり。戦時中に十二支の酉(とり)が盗まれ、一支欠けています。辰は龍の姿では彫刻されていませんので、よくよく探してみてください。
登録有形文化財【3】山門(さんもん)
棟梁:剣持嘉右衛門籐吉(兄)
脇棟梁:奥山富五郎(弟)
文久2年(1862年)再建。慶応3年(1867年)5月27日に上棟式を挙行した記録があります。構造は複雑で彫刻は至妙なる総ケヤキ造り、銅板葺きの楼門です。門内部両脇には右に「毘沙門天」左に「韋駄天」が門を護ります。一般にお寺の門には仁王像が安置されることが多いのですが、廃仏毀釈の折、善寳寺に避難してきたこの両尊天像を安置したと言われております。山門正面円柱の唐獅子は棟梁の嘉右衛門の作であるのに対し、後方の獅子は棟梁の弟富五郎の作であり、兄弟で技を競い合って力作したものであります。山門二階楼上内部には秘仏である十六羅漢像が安置されておりますが、一般への公開はしておりません。梁間に架かっている額縁には善寳寺の山号である「龍澤山」と書かれており、これは江戸時代活躍した鶴岡出身の能筆の名僧「不幼老卵(ふようろうらん)」が書いたものであります。遠くから見ると小さく、門に近づけば近づくほど鳳凰が羽を広げるかのように壮麗に見えると言われます。
登録有形文化財【4】五重塔(ごじゅうのとう)
棟梁:奥山富五郎・高橋兼吉・山本佐兵衛
明治26年(1893年)建立。材料は総ケヤキ造り、屋根は銅板葺き、高さ38メートルの大塔は「魚鱗一切之供養塔」(ぎょりんいっさいのくようとう)として、海の生き物達の供養塔として漁師をはじめ海に関わる人々の願いと祈りを受けて建立されました。内部には仏の5つの智慧を表す五智如来が祀られます。正面:釈迦如来 東方:阿閦(あしゅく)如来 西方:阿弥陀如来 南方:宝勝如来 中央:大日如来(芯柱円柱がそれを表す)善寳寺には昔から夜になると音を発する「夜啼き石」という不思議な石があったが、それを塔建立の際に礎石として中央に納めたといわれ、それ以降石が啼くことはなくなったと言われます。建立から一年余り後明治27年に起きたマグニチュード7.0の直下型地震である酒田地震大火の際にも、また先の3.11東日本大震災の際にもヒビ割れ一つなく建っておりました。大日如来を表す芯柱は塔中央に上から下へ分胴のように吊るされており、振子の役割として免震構造になっており、大地震からもお護りいただいております。塔の側面には十二支が3体×4面に彫刻されており、自分の干支を見つけて、その方角から手を合わせるとよいと言われます。総門と同じく、辰年だけは龍の姿で彫られてはおりませんので、そちらも探してみてください。
登録有形文化財【5】五百羅漢堂(ごひゃくらかんどう)
棟梁:本間勘蔵 (彫刻は剣持嘉右衛門)
安政2年(1855年)建立。531体もの羅漢像は顔の作り・表情も、着物の模様のデザインからポーズまで一つとして同じものはなく、衣の模様やデザインに至るまで同じものはありません。北前船で財を成した商人達の寄進によって建てられた、北前船西回り航路の繁栄を感じさせる貴重な文化的遺産です。「亡き人の面影しのぶ五百羅漢」と詠われるように、かつて写真のない時代には亡くなった人に似た顔を五百体の中から見つけて、そこに手を合わせたと言われます。正面は釈迦三尊、十大弟子が祀られ、柱上には風神雷神、左右台座上には東西南北を守護する四天王が安置されしております。現在東北芸術工科大学様の協力の下、五百羅漢像の修復に取り組んでおり、一体一体丁寧に修復作業を進めております。
登録有形文化財【6】龍王殿(りゅうおうでん)
棟梁:本間勘蔵(再建)
開山の太年清椿大和尚が室町時代後期文安3年(1443年)に守護神の龍神様を祀るために創立したと言われ、天保4年(1833年)に再建された権現造りの荘厳な伽藍です。屋根は現在銅板葺きとなっておりますが、かつては茅葺(かやぶき)屋根であり、その形は波のうねりを表し日本古来からの茅葺技術の粋を集中したものであったといわれます。この龍王殿は龍の王が棲むといわれる竜宮城を模して造られ、彫刻には滝登りをして龍に変化しようとする鯉や、波しぶきが彫られており、龍と海との繋がりを表しているといわれます。建物内部右手には善寳寺の歴代住職の位牌堂、中央の菊の御紋の奥には有栖川宮家様の御霊牌所となっており、左手の金色の扉の中には善寳寺龍道大龍王、戒道大龍女の二龍神が奉安されております。2016年には善寳寺開基龍華妙達上人様の生誕1150年を記念してこの黄金の扉がご開帳され、史上初めて龍神様のご尊体が一般に公開され沢山の方々より手を合わせて頂きました。
貝喰池(かいばみのいけ)
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リンク:詣でるつかるいただきます https://www.tsuruokakanko.com/lp/mouderu/
リンク:庄内観光ナビ:http://www.shonai-navi.com/?p=149
リンク:つるおか観光ナビ:https://www.tsuruokakanko.com/spot/310